「ただの人間」に戻れる場所

(ちょっと前に書いたnoteをこちらにお引越し)

ダンスイベントを見るために
一人で電車を乗り継ぎ、神奈川へ。
始まる前からゾクゾクして、
泣きそう、吐きそうになる感覚。

出演するわけではないのに、
今日のイベントは私にとって
特別なものになるなという予感がた。

何の役割もない自分

案の定、初めのチームから号泣。
なんで涙が出てくるのか
うまくは説明はできないけれど。

それは、ただ踊っている、
ただ生きていることを
感じられたからだと思う。
彼らはその瞬間ただの人間だったから。

男、女、
パパ、ママ、
息子、娘、
生徒、先生、
社会人、
一旦、色んな役割を横に置いてただの人間で、
ここに感動したのだと思う。

今日、私が子供のときから
得意でもないくせに
ダンスを好きな理由がわかった気がする。
私は、ただの人間に
戻るために踊っていたのかも。

ただの人間として
他人とコミュニケーションが
とれるのがダンスなのかもなと。

役割の持つ意味

一方で、役割は人に強さや責任感もくれる。
母にならなければ決断できなかったこともたくさんある。

きっと1時間後には、私は母の顔をするだろうし、
きっと2時間半後には、妻の顔をする。
明日になれば、口角あげ気味の社会人の顔にもなるだろう。

でも帰ってきた人をただの人間として受け入れる、
そんな懐の持ち主になりたいと思った。

結局何が言いたいんだか
自分でもよくわからなくなってきたけれど、
ただの人間でいれる時間を大事にしたい。
そして誰かがただの人間に戻れる場所を作りたい。

このアーユルヴェーダセッションも
そんな場所にしたい。


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